「作詞家・作曲家としてデビューする方法を知りたい」
「有名な作詞家・作曲家にはどのような経歴があるのだろう」
作詞家・作曲家としてデビューする方法を知りたいけれど、周りに相談できる人がいないためどうしたら良いのか困っていませんか?
実は、作詞家・作曲家になるための方法は一つだけではありません。
さらに、プロとして活躍するためには、作詞・作曲のスキルだけでなく、あらかじめ心得ておくべきこともいくつかあります。
この記事では、作詞家・作曲家になるための方法、作詞家・作曲家を目指すあなたに身につけておいてほしいことを解説します。
人気作詞家・作曲家たちの経歴も紹介しますので、参考にして自身の夢に近づいてくださいね。
以下の記事では、初心者向けの作曲に関する本を紹介しているのでぜひご覧ください。
目次
1. 作詞家・作曲家になるための方法
作詞家・作曲家になるためには、主に3つの方法があります。
順番に解説します。
(1)コンペに応募
「コンペに応募」して優秀な作品と認められると、作品の起用が約束されていたり、音楽事務所やレコード会社に所属して作詞家・作曲家としてデビューできることがあります。
コンペには、大手レコード会社が主催する本格的なものから、個人で音楽活動している歌手に楽曲・歌詞を提供するものまで様々なコンペがあります。
どのコンペにも共通して言えることは、主催者が求めている雰囲気に合う詩や曲が制作できることが最低条件で、競争率も高いです。
各レコード会社やプロダクションによって求めている人材やスキルは異なるほか、どのような曲が審査員の目に留まるかは、実力に加えて運によるところも大きいでしょう。
(2)動画サイトへ投稿
youtubeなどの「動画サイトへ投稿」すると、自作品を不特定多数の人が見たり聴いたりしてくれます。
最近では、動画サイト以外に、SNSなどにも自身の楽曲やプロフィールを公開したり、インターネット上で自己アピールすることは珍しくありません。
動画サイトで注目されると、一気に知名度が上がり、その後は作詞家・作曲家として活動することも今や夢ではない時代です。
(3)作詞・作曲の学校に通う
「作詞・作曲の学校に通う」のも作詞家・作曲家になるための一つの手です。
作詞・作曲は独学で学ぶことも不可能ではありませんが、基礎をしっかりと身につけておく必要があります。
学校に通えば健全なライバル心を持った仲間と出会えるほか、現役の作詞家・作曲家の方々から直接指導を受けることができるので、得るものはとても大きいでしょう。
また、就職の相談に乗ってくれることも多いので、音楽経験がない人が作詞家・作曲家を目指すのであれば最善で最短の方法と言えるでしょう。
2.作詞家・作曲家に求められる素養
作詞家・作曲家に求められる素養とはどのようなものがあるのでしょうか?
作詞家・作曲家という職業は、定年もなく、センスを磨き続けることができれば長く続けることが可能です。
その分、プロ作家として生き抜くためには、専門分野での実力と同時に、自己管理能力も必要です。
ここでは、具体的に、プロ作曲家・作詞家として厳しい実力社会で生き残るために必要な素養について解説します。
順に解説します。
(1)ニーズを正確に汲み取る力
プロ作詞家・作曲家に求められる1つ目の素養は「ニーズを正確に汲み取る力」です。
作詞家・作曲家が共感性の高い歌詞やキャッチーなメロディを作ることができるのは当然で、さらに先方のイメージを的確に汲み取った上で、それをどれだけ形にすることができるかが鍵です。
相手の要望を的確に理解して、それに応えることは、プロ作家に限らず、社会人としてのマナーとも言えるでしょう。
作詞家・作曲家がいくらクリエイティブな職業であるとは言え、オーダーに沿っていないものを作れば高い評価を得ることはできません。
自分ならではのプラスαのアレンジを加えたいなら、先方のニーズを正確に汲み取った上で、付加価値として提案するようにしましょう。
(2)スケジュール管理能力
プロ作曲家・作詞家に求められる2つ目の素養は「スケジュール管理能力」です。
納期に間に合わせることは当たり前であり、場合によっては作品の質よりも大切なルールです。
作詞家・作曲家の仕事は大抵の場合、納期があらかじめ決まっています。
例えば、アーティストに提供される作品だと仮定すると、レコーディング日程、リリース日やプロモーション期間まで細かに決められています。
作詞家・作曲家の納期が遅れてしまうと、必然的に他のスケジュールも調整もしなくてはならなくなります。
正当な理由なく納期を過ぎることは言語道断で、その後仕事を任される可能性はほぼゼロになるでしょう。
そのため、作詞家・作曲家にとって、信頼につながるスケジュール管理は大切な仕事の一つです。
以下の記事では、プロの作曲家になるための方法について解説しているのでぜひご覧ください。
3.有名作詞家・作曲家たちのデビューのきっかけ
有名作詞家・作曲家たちも最初から順風満帆なスタートが切れたわけではありません。
回り道をしながら夢を掴んだ2人を紹介します。
第一線で活躍している作詞家・作曲家たちの経歴を知ると、彼らの音楽に対するマインドを共有でき、成功への道筋もイメージしやすくなるでしょう。
(1)放送作家を経て作詞家になった「森浩美」
引用元:ケンオー・ドットコム
作詞家の森浩美は、放送作家を経て、1984年から作詞家として活動を始めました。
大学受験を失敗したことをきっかけにロサンゼルスへ1年間留学、帰国後、放送作家として仕事を開始しましたが、その後仕事に迷いが生じ、さらに両親に仕事の内容が説明しづらかったことから、1983年に作詞家に転向しました。
当時の目標は「3年続けて、ベストテンに入るようなヒットが出なければやめよう」というものでした。
ちょうど3年目の1986年、荻野目洋子のシングル「Dance Beatは夜明けまで」が初登場4位を記録、その後森川由加里の「SHOW ME」や田原俊彦の「抱きしめてTONIGHT」などのヒットが続き、作詞家としての才能が開花しました。
近年では、SMAPの「青いイナズマ」「shake」やKinki Kidsの「愛されるより愛したい」などヒット曲も多数あります。
プロの作詞家になりたい人へのアドバイスを求められた際には、「日頃から視野を広く持つ訓練が必要」と答えています。
それを体現するエピソードとして、森自身も、本業とは全く関係のない、日本ドッジボール協会の設立に参加し、現在は副会長を務めるなど普及活動に精を出しています。
こうした視野を広げて多角的な考えを持つことが、作詞家として活動する上で新しいアイデアの発想や困難な事態の打開策を見出すことにつながっているのでしょう。
(2)ピザ配達のアルバイトから作曲家になった「大石昌良」
引用元:大石昌良Twitter
大石昌良は、2001年、21歳にしてロックバンドSound Scheduleのメンバーとしてメジャーデビューを果たしました。
しかしながら、2006年にバンドが解散、2008年にソロデビューしましたが、音楽だけでは食べていくことができず、ピザの配達アルバイトをしながら生計を立てていました。
そんな苦境を変え、大石昌良の名を広く一般に知らしめたのは、アニソン界への進出でした。
当時33歳の時で、アニメ・ゲームコンテンツ向けの名義「オーイシマサヨシ」を立ち上げ、デビューシングル「君じゃなきゃダメみたい」は、TVアニメ「月刊少女野崎くん」のオープニング主題歌としてスマッシュヒットを記録しました。
この頃を振り返り、「だから僕は伝えたいです。いくらでも遅咲きできるってことを」と話しています。
現在では、幅広いリスナーに愛され、「アニソン界で日本一忙しいアーティスト、クリエイター」と称されています。
たとえ遠回りでも地道な努力を続けていれば、いつの日か実を結ぶ日が来るという、大器晩成型の成功例の1人と言えるでしょう。
まとめ
この記事では、作詞家・作曲家になるための方法と、あらかじめ心得ておくべきことについて紹介しました。
人気作詞家・作曲家たちの経歴も紹介しましたので、自身のこれまでの経験を糧にして、ぜひあなたの夢を掴んでください!
なお、以下の記事では、他の日本人作曲家についての経歴も紹介しているのでぜひご覧ください。