「音楽プロデューサーの松尾潔(まつおきよし)さんってどんな曲を作っているの?」
「音楽プロデューサーなのに小説も書く松尾潔さんってどんな経歴の人?」
松尾潔さんは、『ヒット請負人』とも呼ばれ、シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数が3000万枚を超すビッグプロデューサーです。
テレビ朝日系の音楽バラエティー番組『関ジャム完全燃SHOW』で解説役として登場し、露出も多いので知っている方も多いのではないでしょうか?
ここでは、音楽プロデューサーの松尾潔さんについて、松尾潔さんの魅力を知る4つのエピソードとともに紹介します。
異色の経歴を持つ松尾潔さんの魅力を感じてください。
目次
1.音楽プロデューサー『松尾潔(まつおきよし)』とは
日本を代表する音楽プロデューサーである松尾潔さんとはどんな人物なのでしょうか?
ここでは、異色の経歴を持つ多才な松尾潔さんの経歴や代表曲について紹介します。
(1)松尾潔さんの経歴
松尾潔さんは、音楽プロデューサーとして活躍する前は音楽ライターとして活動をしていました。
学生時代にはブラックミュージック専門誌『bmr(ブラック・ミュージック・リヴュー)』などでR&B・Hip Hopについて執筆活動を開始しています。
現地取材を重ね、若くしてその才能を評価されていました。
久保田利伸さんとの交流をきっかけに音楽制作の道に携わり、90年代半ばにはプロデューサーとして平井堅を大ブレイクに導きます。
その後、テレビ東京『ASAYAN』の男子ヴォーカリストオーディションでCHEMISTRYを発掘し、名付け親となり彼らの大ヒットした初期楽曲をプロデュースしたことで話題になりました。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで人気音楽プロデューサーの仲間入りを果たしたのです。
名前 | 松尾潔 |
生年月日 | 1968年1月4日 |
学歴 | 早稲田大学第二文学部卒業 |
ジャンル | POP・R&B・SOUL |
事務所 | Never Too Much Productions |
なお、日本の有名な音楽プロデューサーについてはこの記事でも紹介しているので参考にしてください。
(2)松尾潔がプロデュースした楽曲
松尾潔さんがプロデュースした代表的な楽曲は下記の通りです。
- 平井堅:『THE CHANGING SAME』『gaining through losing』『JAPANESE SINGER』
- CHEMISTRY:『The Way We Are』『Second to None』『Between the Lines』
- 東方神起:『Heart, Mind and Soul』
- JUJU:『Delicious』『Delicious~JUJU’s Jazz 2nd Dish~』など
- EXILE:「Lovers Again」「Ti Amo」
- CHEMISTRY:「PIECES OF A DREAM」「Point of No Return」「君をさがしてた 〜New Jersey United〜」
- 平井堅:「why」「LOVE OR LUST」「even if」「Miracles」「KISS OF LIFE」
- 東方神起:「Stay With Me Tonight」「Somebody To Love」「My Destiny」
- 三代目J Soul Brothers:「Best Friend’s Girl 」
- JUJU:「桜雨」「この夜を止めてよ」「ラストシーン」など
『ヒット請負人』と呼ばれるのにふさわしく、日本を代表するアーティストに数々の楽曲を提供していますね。
なお、音楽プロデューサーの仕事については、この記事でも紹介しているので参考にしてください。
2.松尾潔(まつおきよし)の魅力を知る4つのエピソード
音楽ライターを経て売れっ子プロデューサーになった松尾潔さんには、魅力的なエピソードがあります。
音楽プロデューサー松尾潔を知る上で外せない4つのエピソードを紹介します。
- 10代でブラックミュージックに熱中する
- ライターから音楽プロデューサーへ異例の転身
- 曲作りは聞く人に与えたいイメージから逆算して作る
- 初の小説『永遠の仮眠』を発売
プロデューサーとしても活躍している松尾潔さんの魅力を紹介します。
(1)10代でブラックミュージックに熱中する
松尾潔さんは、ジャズ好きな父親の影響もあり家にあるレコードを聴いて育ったとインタビューで語っています。
高校時代はソウル・R&Bに熱中し、親に内緒でディスコに行きブラックミュージックにはまっていったそうです。
お金がない中でレコードを手に入れるために、知恵を絞って安くで中古レコードを買いながら好きな音楽を楽しんでいました。
驚くべきなのは、この当時からアーティスト名だけでなくプロデューサーやミュージシャンのクレジットで音楽を聴くようになっていたことです。
今の松尾潔さんの音楽のルーツは、高校時代に培われたものだったんですね。
(2)ライターから音楽プロデューサーへ異例の転身
音楽ライターとして活躍していた松尾潔さんは、久保田利伸さんの楽曲リミックスを手掛けたことがきっかけで音楽制作の道に進んでいきます。
ライターから音楽プロデューサーになるのは、異例のキャリア転身と話題になりました。
学生時代に培ったブラックミュージックへの深い知識と、ライターとしての人脈を活かして、平井堅やCHEMISTRYなどのアーティストをプロデュースしヒットさせます。
その後も海外における最先端のトレンドを取り入れ、日本の音楽シーンに適した楽曲に結びつけ日本のR&Bブームを牽引するプロデューサーとして認知を広めていきました。
「回り道と呼べる時間は人生に1秒もないことを最近痛感します。それともう1つ、今になって思うのは、自分自身や自分のやりたいことに正直であれということです。」とインタビューでも語っています。
好きなことをまっすぐに追求する姿勢や、人との出会いを大切にする気持ちが音楽プロデューサーという新しいフィールドでの成功につながったのですね。
また、音楽プロデューサーになる方法についてはこの記事で紹介しているのでご覧ください。
(3)曲作りは聞く人に与えたいイメージから逆算して作る
松尾潔さんは、聞く人にどんなイメージを与えたいのかを考え、そこから逆算して音楽を作り出すとインタビューで話しています。
「例えば、恋が終わった後の痺れるような熱を感じさせたいと思ったら、それならこういうメロディ、コード進行だろう。そして、そこに伴う歌詞はこういうものだろう、と逆算するのです。つまり完成図そのものではなく、完成図を見た印象のところから逆算しているから、曲作りに手詰まりを覚えることもないんです。」と曲作りのルールを語っています。
自分が作りたい曲を作るのではなく、どんなイメージを与えたいのかをまず考えそこからオーダーメイドで曲を作り始めるそうです。
言葉を紡ぎ出してきたライターの仕事が、ここでも活かされていますね。
(4)初の小説『永遠の仮眠』を発売
松尾潔さんは53歳にして初の小説「永遠の仮眠」を描き下ろしました。
小説はフィクションですが、『ドラマ主題歌をめぐって、制作の危機に直面した音楽プロデューサーを主人公にし、テレビや音楽業界の内実やあり方を問う物語』という内容で、まるで松尾潔さんの自叙伝のようと話題になっています。
音楽業界で音楽を制作し続けた経験と、ライターとして書くことを仕事にしてきた松尾潔さんだからこそ、この小説執筆につながったのでしょうね。
本の制作には6年もの年月がかかったそうです。
売れっ子プロデューサーが6年もの歳月をかけて描き下ろした小説は、音楽業界を目指すなら読んでおきたいですね。
まとめ
松尾潔さんは、学生時代に憧れたブラックミュージックをきっかけに音楽業界に飛び込みました。
音楽ライターを経験し、音楽プロデューサー、小説家と次々に肩書を増やしていきますが、それはすべて自分がやりたいことに一生懸命に取り組んできた結果です。
音楽に対する情熱と好きなことを追求した毎日が、今の松尾潔さんを作り出しているのです。
松尾潔さんのエピソードを知ると、音楽プロデューサーの仕事の奥深さや面白さを感じますね。