「ヒャダインの音楽的才能はいつから発揮されているの?」
「ヒャダインが制作した曲の中で初期の人気曲を知りたい!」
ヒャダインは日本の音楽シーンにおいてクリエイターをはじめ様々な顔を持っています。
本記事では、日本の音楽界を牽引するヒャダインの経歴について、また、ヒャダインの初期の代表曲を紹介します。
第一線で活躍するヒャダインの天才的な才能を知って、今後の音楽活動に役立ててくださいね!
以下の記事では、世界に羽ばたく!有名な日本人作曲家を各ジャンル別に5人ずつ紹介紹介しているのでぜひご覧ください。
目次
1.日本音楽界を牽引するヒャダイン
引用元:Wikipedia
ヒャダインはマルチな才能を生かしてミュージシャン、クリエイター、タレントなど様々な分野で活躍しています。
自らアーティストとして活躍する一方で、アイドルからアーティスト、アニソンやCM音楽、映画劇伴まで様々なシーンへ楽曲を提供する音楽プロデューサーとして活動しています。
最近ではテレビ番組でMCやタレントを務めるなど活躍の場をさらに広げています。
とりわけ音楽プロデュース業で高い評価を受けており、時代とリンクしたヒット曲を数多く生み出し、今では日本音楽界を牽引する存在として知られています。
(1)天才ヒャダインの素顔
引用元:前山田健一公式サイト
ヒャダインは1980年大阪府生まれ、本名は前山田健一です。
2009年に、前山田健一名義での提供曲がオリコンチャートで連続1位を獲得するという快挙を成し遂げ、作家としてその名を轟かせました。
また同時期に、ニコニコ動画やYouTubeなどの動画投稿サイトに「ヒャダイン」という名前で作品を公開し、男声・女声など全て一人で歌い上げる斬新なスタイルが反響を呼んで、ニコニコ動画の全投稿者のなかでも屈指の総合再生数とミリオン再生作品数を記録しました。
ネット上で活躍する謎の匿名アーティストとして話題を集めていましたが、2010年5月にヒャダイン=前山田健一であることを告白しました。
ヒャダイン名義ではスターダストプロモーションに所属、前山田健一名義ではファイブエイスに所属しています。
(2)天才ヒャダインの経歴
引用元:ヒャダイン公式サイト
1980年 | 大阪府大阪市で生まれ、3歳でピアノを始める |
2007年以前 | 京都大学総合人間学部を卒業後、事務所に所属し音楽活動を開始する |
2007年 | ニコニコ動画に出会い、「ヒャダイン」名義で投稿を始める |
2009年 | 前山田健一名義での提供楽曲がオリコンチャートで連続1位を獲得する |
2010年 | ヒャダイン名義のブログにて「前山田 健一」個人であることを告白する |
2011年 | アーティスト「ヒャダイン」としてランティスよりメジャーデビューを果たす |
2013年 | 1月28日付オリコンシングルウィークリーチャートにおいて前山田健一名義での曲がTOP10内に3曲ランクインするという快挙を達成する(3位 私立恵比寿中学「梅」、9位 ゆず「REASON」、10位 でんぱ組.inc「W.W.D」) |
大学卒業後に音楽活動を始めたものの芽が出なかった頃ニコニコ動画に出会い、投稿された動画に刺激を受け自身も「ヒャダイン」名義で投稿を始めます。
現在までにももいろクローバー、 AKB48といったアイドルからSMAP、ゆず、郷ひろみなどビッグアーティスト、さらにはアニソンとして演歌・歌謡曲グループのはやぶさへ楽曲提供するなど、ジャンルにとらわれない幅広い音楽活動を展開しています。
#1: 天才ヒャダインも6年間も貧乏時代があった
天才的な音楽センスで現在音楽シーンの最前線で活躍しているヒャダインですが、金銭的に苦労した時期もありました。
大学卒業後の進路に悩んでいたとき、企業への就職を諦めてやぶれかぶれでニューヨークにひとり旅に出かけました。
帰国前日に「9・11」のテロが起きて1週間の足留めを余儀なくされ、このとき将来について心に決めたのが「音楽を作る人」になることでした。
しかしながらコンペに応募しても反応がなく音楽でお金を稼ぐことができず、ひたすらアルバイトをしていました。
居酒屋や家庭教師をして得た15万円で生活をして、余ったお金があれば音源を少しずつ買い足すという、音楽制作をしながらもアルバイトに打ち込む日々だったと言います。
その時代を振り返って次のように語っています。
「今の曲づくりにも活きているかなーとも思いますね。僕が書く曲に勝ち組の視点はないですから。フェスとかで人気のアーティストは最初からキラキラした存在だったと思うんですが、僕にはダサくてイケていない時代があったので、その頃の自分と同じような人たちに向けた大衆性とか娯楽性は捨てちゃいけないなあ」
仕事もお金もなかった暗黒時代を経験したヒャダインは、その当時の気持ちを忘れず”負け組の代弁者”であることを常に意識しています。
#2: みんなを楽しませたいが原動力
ヒャダインは音楽について純粋に好きで趣味的のひとつという感覚に近いと語っていますが、その原動力となるのが「聴いている人が楽しくなるような曲を作りたい」という気持ちだそうです。
ミュージシャンと自己表現は密接な関係にありますが、ヒャダインは自己表現そのものには関心が高くなく「みんなを楽しませたい」という気持ちが大きいと語っています。
そのため曲を作るときにには、自分自身に向き合うというよりは聴く人の視点で考え、自分がリスナーとして聴いたときに楽しいかどうかを大事にしています。
匿名プロジェクトのヒャダインとしても、前山田健一として表舞台に出ても、「人を楽しませたい」が共通する信念になっています。
2.ヒャダインの初期の代表曲
ヒャダインの代表曲は多数ありますが、初期の作品の2曲を紹介します。
(1)倖田來未×misono『It’s all Love!』
「It’s all Love!」は倖田來未とmisonoの姉妹によるコラボレーションシングルです。
2009年3月31日に発売され、倖田來未にとってはこの作品が43枚目のシングルとなりました。
この曲は、ヒャダインが得意とするアグレッシブなサウンドに、姉妹の息のあったパワフルなボーカルの掛け合いがマッチしたアッパー・チューンです。
ひとつの恋が終わりを告げ次の恋に立ち向かう女の子の応援歌になっており、普段から行われているガールズトークのような掛け合いで人気を集め、オリコンランキング発表開始以来、兄弟・姉妹ユニットとして初の初登場首位を獲得しました。
東方神起の『Share The World』は東方神起の27枚目のシングルで、2009年4月22日にrhythm zoneから発売されました。
「Share The World」は東方神起が5人体制のときの曲で、夢と希望に満ち溢れた元気になれる歌詞と5人の絶妙なハーモニーが魅力です。
大人気アニメ『ONE PIECE』とコラボレーション曲で、『ONE PIECE』の主題歌としては歴代1位の売上を記録しています。
素敵な仲間達と冒険を繰り広げていくワンピースのストーリーと、ヒャダインが描く「Share The World」の世界観が合致し、ワンピースファンだけでなく幅広い層から愛されて続けている曲です。
まとめ
今回は、天才音楽家のヒャダインの経歴と初期の代表曲を紹介しました。
ヒャダインが手掛けた曲はどれも、口ずさみやすく共感しやすい魅力的な楽曲ばかりです。
この記事を読んでヒャダインの天才的な才能と日本のポップミュージックのトレンドを理解し、音楽家としてのスキルを高めてください!
なお、以下の記事では、天才作曲家・ヒャダインの曲作りにおける秘訣を紹介しているのでぜひご覧ください。